私の幼かったころ その1


                                     


      雪の日の法華寺

 高山市の東山に連なるお寺さんのひとつに、日蓮宗の法華寺がある。そこが江名子川沿いの貧乏長屋にすむボクたちの遊び場だった。えらい和尚で、子どもが騒いで遊んでいても、大概のことは大目に見てくれた。よくしたもので、子どもたちも和尚のぬくもりを感じてか、許されない悪さはしなかった。

 本堂の脇に石の太鼓橋が架かった小さな池があって、水草のよどみの中にゴンベイがいた。図鑑では「ミズカマキリ」とある。ゴンベイを20匹捕って、町のヘビ屋へ持っていくと1銭で買ってくれ

る。漢方の薬になるのだそうな。小遣い稼ぎにゴンベイを捕るのだが、アメンボはいくらでもいるけれど、ゴンベイはそうはいない。子どものことだから、そのうち飽きて何匹か捕ったゴンベイは可哀想に日干しになってしまう。ゼニになるところまでやれるのはガキ大将の指揮があるときだけだった。でも、そうやって稼いだ小銭はどうしたのだろう。なぜか記憶がまったくない。

 雨の日は本堂をL型にかこむ回廊で遊ばせてもらった。子どもたちは学齢が同じになるように二組に分かれ、味噌っかすも仲間にいれて、互いに回廊の両端に陣取った。やるのは「ひと隠し」である。まず一組が仲間の何人かを選び、そこにうずくまらせて、みんなの上着や胴丸(ちゃんちゃんこ)をかぶせて、誰が隠れているか分からなくする。残りの人間は欄干をまたぎ、飛び降りて縁の下に隠れる。
 「もうええぞぅ」と怒鳴って、別の組を呼ぶ。人を隠しているとき決して覗かないこと、着物に手を触れないで隠れている者を当てること、それが厳しいルールだった。当てる方は、ボロをまとったかたまりの形だけでなく、縁の下で静かにはしていられない連中の小声や息遣いに神経を張り詰め、消去法で縁の下にいない者が隠れていると推量する。当たるときも当たらないときもあるが、答えを聞けば歓声をあげて交代し、げームが続く。

 ときにはボロだけで人を隠さず、回廊の板の節穴に棒をさして、縁の下からリズミカルに動かして、人が呼吸しているかのように見せかけた。
 おとなのどんな干渉も指導もないところで自由に、自主的に遊びながら、ボクたちは人の気持ちを知ること、人と力を合わせる楽しさを学んだ。それと、おとなにちょっぴり背く喜びをも。

 山門のまわりの生垣は一位の木だった。庫裏の入り口にも一位の大木があった。初夏だったろうか、毎年赤い甘い小さな実を取って食べた。行儀悪く、タネをペッペッと庭に吐き捨てる。ボクたちが帰ったあと、子どもと遊ぶことが許されない同年輩の小僧が、竹箒で庭をきれいに掃いた。

 この回廊で「人隠し」をした

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