私の幼かったころ その9


 数え年五つのとき、祖母に連れられて平湯温泉に行った。そのころは棟梁の祖父が健在で、息子たちを率いてバリバリやっており、暮し向きもまずまずだったようだ。高山から平湯峠を越えて8里の道を、湯治客は歩いていくのが普通だったが、機織をして小金を持つ祖母はバスを使った。
 宿は平湯館だった。ちゃんとした浴場があったが、いろんな湯につかりたい年寄りたちは、誘い合って共同浴場へ行ったり、知り合いが宿泊している他所の宿へ行ったりした。 ある日、別の宿の湯に入っているときのことだ。


     平湯温泉平湯館

 突然、女湯に緊張が走った。何が起きたのか、祖母は慌ててボクの手を引っ張って脱衣場へあがった。みんな急いで着物を着ていた。「番頭さんに怒られたで…」祖母は着物を着ると、締め切られた廊下の雨戸をこじ開けた。縁の下に脱いだ下駄を履くと二人で逃げた。仲間の老婆たちも「あれ、こうわいさ」「こうわいなあ」とつぶやきながら逃げた。ボクは恐ろしい鬼のようなものが追いかけてくる恐怖に怯えていた。

 そこへいくと共同浴場は大威張りで入れる。共同浴場は平湯館の池の向こう側にあった。ボクは帰りにはその池に寄った。池のふちがえぐれたところがあり、その辺を足でドンと踏むと、メダカのような小魚が飛び散るのが面白かった。毎日それをやった。池の窪みと小魚はボクの網膜に焼きついた。

 ある日、高山から来た湯治客が、親戚のおばあさんから「しんちゃんに」と言って、かんかん棒を預かってきてくれた。かんかん棒というのはきな粉飴を棒状に延ばした駄菓子である。新聞紙に包んで、いま思えば30本くらいはあったろうか。祖母が言った。「そんなら女中さんに分けてやらにゃ」。
 「えっ?」ボクは耳を疑った。どうしてボクのかんかん棒を女中さんに上げなければならないんだ?
 「寝小便して、いつも迷惑かけとるでな」と祖母は言った。でも、ボクは納得いかなかった。せっかくもらった菓子を人にくれてしまうという祖母の気持ちが、なんとしても理解できなかった。幼少のころはおとなしい性格だったボクは、一言も異議は言わなかった。言わなかった分、納得いかない気持ちが残ったかも知れない。
 長じて作家・梅崎春生の書いたものを読んでいたら、子どもは母や肉親と一心同体で育つが、あるとき肉親といえども自分と違う考え方をする別の人間であることに気がつく。誰にでもその記憶はあるはずだ。それが自我を自覚する節目だ…といった意味のことが書かれていた。「ああ、あのかんかん棒だ!」と、ボクは思った。大切な自我の節目が駄菓子を惜しむ気持ちとは情けない。

 それから幾年月、中学2年のとき、山岳部で乗鞍岳に登った。写真の前列右から二人目の小さいやつがボクだ。乗鞍岳から焼岳へ向かう途中で平湯温泉に一泊した。
 ボクは期するところがあった。10年前、数え五歳のときの記憶を確かめたかった。共同浴場のたたずまいも平湯館の池の形も記憶の通りだった。池の窪みさえ、昔のままだった。「やったァ!」。ボクは何故か言い知れぬ勝利感を味わった。 しかし、人間の記憶というのは何とあやふやなものだろう。思っていた通りだと喜びを噛みしめたとたんに、その記憶は消えていった。今は池の形さえ思い出せない。

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