私の幼かったころ その13


 江名古川のほとりにある我が家の対岸に、古田のじじいの畑と小屋があった。
 小屋の前には小道をはさんで馬小屋が二つあって、馬車引きの馬が2頭いた。栗毛の木曽馬はずんぐりと太って格好が悪く、小屋は馬糞と垂れ流しの尿でいつもぐしゃぐしゃと不潔だった。
 馬小屋の前、どぶのそばに古田のじじいのスモモの木が一本立っている。スモモが色づくのを待って盗りにいくのだが、そういうときに限ってじじいが小屋にいる。何もしないのにじろりとにらむ。仕方がないので、どぶに落ちた虫食いのスモモを拾って、ズボンでこすって口に入れる。すっぱい。うまい、まずいは別にして、よく病気にならなかったものだ。

 古田のじじいは屑屋だった。法華寺の下の自宅が店になっていた。
 あるとき、5つ年上の次兄に誘われて、悪さの仲間になった。ボクはまだ味噌っかすの内だったろう。古田の小屋から、缶詰の空き缶を盗んできた。それに石ころを詰めて、目方を増やしてから、じじいの店へ売りに行く。一度はうまくいったが、二度目にばれてしまった。古田のじじいの店と小屋と我が家は、いずれも半径50メートルの範囲に入っているのだから、ばれない筈はない。

 ばれた後が大変だ。兄貴とボクは寝巻きを背中にくくりつけて、家を追い出されることになった。味噌っかすのボクは泣き叫んだが、兄貴はペラペラとしゃべって謝った。…それからどうなったかは覚えていない。覚えているのは、空き缶に石ころを詰めて、少し大きい石で空き缶をつぶす楽しさばかりだ。

 悪さといえば、ナツメ泥棒。ナツメは今年伸びた細い小枝に実をつける。ぶるんとしごけば、一度に5、6個は採れる。ガキ大将に引き連れられて、夜ナツメ泥棒に行った。一斗袋に半分くらいはあっという間だ。
 この辺とガキ大将が判断すると、追う人もないのに、ボクたちは必死に逃げる。逃げて、夜は絶対に誰も来ない墓地に行く。臆病なボクは怖くて怖くて、ナツメの味もしなかった。

 怖かったのは栗泥棒のときが最高だ。
 畑の真ん中の栗の木を狙った。誰もいないのを確かめて、ボクともう一人が木に登った。棒で叩き落す。イガが青くても、下駄でイガを剥いて、実を採った。見張りは立てたはずなのに、「きたぞっ!」と声がしたときは、農家のオヤジはもう間近だった。一人は飛び降りて逃げたが、ボクは一番下の枝まで下りたときには目の前にオヤジがいた。
 「下りて来い。栗の木に縛りつけてやる」
 ボクは枝を登った。震えが来た。オヤジはそれからのんびり畑仕事をした。日が暮れそうになって、オヤジは、「どこの誰だか、知っとるでな」と脅して帰っていった。

 だが、そのオヤジは我が家に抗議に来たりはしなかった。その昔は、子どもはみんな社会の宝物だった。いたずらをしながら育つのをみんなが知っていたし、それを暖かく見守る余裕があったのだろうか。

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