ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 8月25日(日)晴れ
 今年もどうにかキャンプセミナーに参加できた。参加したと言っても、座って見ているだけ。このところ疲れてもいるが、「考えなくてもからだが動く」ということがなくなってきた。
 若いお父さんやお母さんが子どもたちと一緒にテントを張り、川で遊び、野菜を刻む…その姿をぼんやり眺めている自分が情けない。

 夜、いくつかのテントを回った。歓迎してくれるグループもあれば、愛想のないテントもある。たいして大事な話をするわけではないが、理事長と父母という関係が前にあるから、気楽な世間話にはなり難い。
 それでも気軽に話が弾んだところもある。どこでも年齢よりも若いと言われる。それは嬉しいと言うか心地よいが、老いは外からは見えにくいものなのだろう。人に言っても仕方がないことだが。
 何人もの人が健康に気をつけて、なるべく長く、そので働いてほしいと言って下さった。「限りはいつか来るでしょうが…」と、付け加える人もあった。50年やってきて、そんな風に言ってもらえるのはありがたい。
 キャンプは一例に過ぎないが、「その」はいつもたくさんの父母に支えられている。それが50年生きて来られた原動力だ。その父母の子どもたちを守り育てる運動の中で、生きることが出来、信頼されているとは、なんという幸せだろう。

 「子ども・子育て新制度」が27年度から実施される。あまり国民には知られていないが、3年経ったら、あっと驚くことがいま周到に準備されている。無認可で50年生きてきた「その」にとっても、かつてない新しい局面が現れる。
 幼稚園や保育園にとっては新しい制度にどんな態度で臨むか、厳しい選択が迫られることになるとすれば、子どものそのだけの問題ではないのだが。それにしてもこれほどの大変革が僅か2年の準備期間で実施とは、急ぎすぎではないのか。国民にほとんど周知されていないので、かなりの混乱が起きるのではないかと心配だ。


 8月12日(月)晴れ
 毎日暑い。そのせいか今年はセミが多い。保育園の子どもたちは毎日長い棒につけたアミでセミを狙っている。ケヤキの高い幹に、3匹、4匹並んでとまっている姿も珍しくない。子どもでも結構上手に捕っている。
 きのう11日は、横浜アリーナへ、第45回全国保育団体合同研究集会に勉強に行ってきた。まだ時差ボケが解消していないのか、暑かったし、少し辛かった。

 その暑い夏、8月3日からポーランドに行ってきた。往復を除くと5日の短い旅だったが、濃密な体験をした。
 ポーランドと言えばショパン。改装された生家を訪ね、ピアノコンサートを聴いた。キューリー夫人の記念館も見た。
 しかし、なんといっても驚愕の体験はアウシュビッツの見学だった。このヒトラー・ドイツがユダヤ人を大量に殺害した強制収容所は、「負」の世界遺産になっている。
 アウシュビッツは古都クルコフの近郊にあった。入り口には「働けば自由になる」と看板が掲げられている。ここに強制連行されたユダヤ人110万人、ポーランド人15万人など130万人のうち、解放軍が到着したとき生き残っていたのは7400人に過ぎなかったという。
 アウシュビッツは1940年、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツがポーランドの政治犯を収容するために作った。しかし、1942年からはヨーロッパ各国から送り込まれるユダヤ人を選抜し、働かせることのできない老人や病弱者、女性や子どもを無差別に殺害するセンターとなった。
 しかし、アウシュビッツでは処分しきれなくなって第2アウシュビッツが7倍の規模で増設される。 

 ボクたちは日本人ガイドの案内で3時間半コースの見学をした。当時の施設や遺物、写真などが広い施設に展示されていた。

 右は展示品のひとつで、チクロンBの空き缶。
 シャワー室と欺いて、ガス室に裸で詰め込んだ収容者を、天井の穴からチクロンBの有毒ガスを吹き込んで殺戮した。

 見学コースに、そのガス室があった。
 ガス室は薄暗く、広かった。ここでは一度に数百人を殺戮することができたという。
 コンクリートの天井には、50センチ角くらいの穴がたくさん開いていて、これがチクロンBを内部に噴霧する噴出口だった。

 ガス室の隣は焼却場だった。
 この焼却場は一昼夜に遺体を340体を焼却できたという。この焼却場は1940年8月から1943年7月まで使われていたという。

(つづく)


 7月23日(火)晴れのち夕立
 7月18日、商工会青年部のみなさんがテント一張りのカブトムシの森を作って、子どもたちに人気のカブトムシと存分に触れ合う機会を作って下さった。もちろん子どもたちは大喜び。
 最初の写真は保育園の1歳児(きんぎょ組)、その下2枚目は保育生協の2歳児(ひよこ組)の子どもたち。
 テントは網を張り巡らし、木や腐葉土が盛られて100匹を上回るカブトムシがうようよといる。小さい子でも手にとって見えるが、大きい組はもう玩具のように自分の服に停まらせて遊んでいた。
 商工会の青年部は毎年七夕まつりで同様の行事をやってきたが、今年からそれが出来なくなるというので、受け入れる施設を探していたが、青年部のメンバーの中に「その」の卒園児や現役の園児の親が何人もいたので、「その」なら活用してくれるだろうと、白羽の矢を立ててくれた。
 カブトムシを捕りに行くのも、それを飼って体調を管理するのも、みんな若手の商店主たちがやり、テントの設営も撤去もてきぱきとやってくれて、実にありがたい行事だった。

 かつては商工会青年部の元メンバーだったという市長も様子を見に来てくれて、保育園の子も、保育生協の子も、クラスごとに見に来て、カブトムシと夢中に遊ぶ様子を見ていってくれて、よかった。また「その」への親近感をふかめ、「その」がこの地域社会で果たしてきた役割を改めて理解していただけたものと思う。

 「カブトムシの森」の2日後は夏まつりだった。
 今年はお客様が多かった。オープニングの荒馬踊りも、工夫をからした模擬店やあそびのコーナーもよかった。近隣にクルマで迷惑をかけないようにと、駐車場係りもお父さん・お母さんたちにやっていただいたが、自分たちで『まつりを作る』意気込みで真剣に取り組んでいる姿を見て、ここに「その」の底力があるのを感じた。
 卒園生、といっても親と一緒の小学生だけでなく昔の友だちと連れ立ってきてくれる中学生、高校生の姿が、ここ1〜2年、増えてきている。故郷が消えていく社会状況の中で、いつまでも「心のふるさと」であり続けたいと考えた。


 7月9日(火)晴れ
 6月は23日の総代会へ向けての準備、連日のような地域班の班会議などで、多忙を極めた。
 おじさんの畑には早めに苗を植えたのもあって、小松菜やハツカダイコン、きゅうり、ナスの収穫が続いて、クッキング保育もよくやった。
 年少5クラスを対象に、小松菜の味噌汁2回、きゅうりのはちみつ酢の三杯酢3回、ナス焼きの甘味噌和え1回で都合6回やった。
 2歳児2クラスは、きゅうりのの三杯酢2回、ナス焼き2回、1歳児と0歳児はナス焼き1回、それにオレンジ組でもきゅうりの三杯酢をやった。合計では12回に達した。
 毎回収穫やそれを洗う作業を自分たちでやってもらった。皮をむき、刻むのも子どもたちのテーブルをめぐって目の前で作業した。
 参加した意識が食欲につながる。どのクラスでも給食では手をつけたことのないナスやきゅうりを初めて食べる子が現れた。「やったァ、すごい!」先生に褒められて笑みがこぼれる。
 あさ、時には前日、給食室でボールや皿、フォークなどをそろえ、三杯酢や甘味噌は自宅で調理してビンで持参する。
 おじさんの畑のきゅうりは葉が赤ずんで枯れる病気になった。ネットでよく利く農薬を知ったが、子どもが食べるのに農薬は撒けない。少し早かったが、棚ごと撤去した。

 このごろ歳とったせいか、疲れがひどい。この間専用のござを抱えて、アスレチックの涼しいコーナーで昼寝をしようとした。午睡をしない保育生協の年長組が突いたり打ったり…寝るどころではなかった。「乱暴しないで、子守唄でも歌ってよ」と言うと、ぞう組のさきちゃんが「どんな歌がいいの?」と訊く。「ブラームスの子守唄がいいな」「それ知らない」「なんでもいいから…」そんなやりとりの末、さきちゃんは「♪ねむれよいこよ…♪」と、モーツアルトらしい歌を静かに歌ってくれた。
 でも子どもたちの乱暴は止まらない。「おじさん、引っ越したほうがいいよ」とさきちゃんに奨められて、はるかな金魚の水槽の隣に移動した。影にはなっているが全然涼しくない。木立の中とは違う。さきちゃんも子守唄をやめて、どこかへ行った。じきに戻ってクレヨンで書いた手紙を置いていく。「おじさん、おやすみなさい。こんどきりがみをしよう。さき」とあった。

 プール開きで「その」にも夏が来た。
 赤ちゃんたちのプールには紙で作った魚が泳いでいる。園長のギターで歌をうたって、お尻を消毒して温水混じりのプールに入る。魚を釣ろうとする子もいた。
 屋上のプールは、年長の3クラスが交替で水の中で「かっぱのまつり」などを歌って踊った後、年中組以下の子たちが先生と一緒に初泳ぎを楽しんだ。もちろん年長組は最後にたっぷり泳いだ。
 暑い毎日なので、プールは毎日大活躍だ。ただあまりに暑すぎて、屋上に長い時間いても大丈夫かどうか、様子を見ながら遊ぶ時間も考えるようかもしれない。

 7月2日には絵本の勉強会を開いた。変わり映えしないボクの講師で、参加者は60人あまりと少なかったが、深く考えて子育てをしているお母さんたちの感想文をたくさん寄せていただき、嬉しく思うと同時に、ボク自身も大変勉強になった。ありがとうございました。


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