ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 6月21日(金)曇り一時小雨
 雨には見舞われず、楽しくザリガニ釣りが出来てよかった。
 狩猟というのは原始に帰る喜びなのだろうか。子どもたちは夢中になる。きょうは体調がイマイチだったので、何枚か写真を撮って帰ろうと思い、自分の車でバスについていった。
 でも、写真は何枚か撮っただけで、あまり釣れない子の面倒を見たりして、結構楽しんだ。
 きりん組のきづきちゃんが、並んで一緒にやっているれいなちゃんに、「おじさんがいてくれると、なんだか安心だよね」と言っている。ボクは気をよくして、しばらくきづきちゃんたちのそばにいた。なんだかこっちが乗せられていたみたいかな。
 たくさん釣れたので、園に帰ってからもざりがにをいじって遊んでいた。小さい組にもお土産にあげた。
 夕方、保育園の2歳児が「あなにいれたよ」と言う。「死んだ」。そばから先生が「ザリガニが死んだからお墓を作ったんだよね」と言う。きっと何回か言い聞かせているのだろう。まだ死ぬということは分かってはいないようだ。小さいザリガニだったのだろう。そんなにいじったわけではないだろうが…。


 6月9日(日)晴れ
 5日の人形劇サークルの公演を見せてもらっているとき、電話があった。板橋に住む甥がガンで闘病中だったが、様子がよくないという。
 6日は班会議、7日は班長会議があって、8日の土曜日は夜の理事会まで時間がとれたので、ようやく見舞いに行った。要町の小さな病院だった。
 3ヶ月前に診断が下りたとき電話をしたが、そのときは自宅にいて、「叔父さん、心配しないで」と元気だった。病室に入ると、付き添いの娘さんが脱脂綿に湿したジュースを口にたらしていた。もう意識はあるのか不明だった。のどはジュースに反応してかすかに動いていた。耳元で「シンサクだよ」と何度も呼びかけたが、反応はなかった。

 娘さんに替わってジュースを口に入れたりもした。しばらくすると、口が全然動かなくなった。医師と看護師が来て、「いま脈拍と呼吸が弱くなったので…」と言った。計器は別室にあるのだろう。
 「立ってだけいないで、何か措置してくださいッ」と娘さんが医師に詰め寄った。終末病院というのはこんなものなのか。医師は鼻にさした酸素のパイプを抜いて、手押しで酸素を送った。胸は膨らんだりしぼんだりしたが、自ら呼吸をしているようには見えなかった。娘さんが家族を呼び、タクシーで駆けつけるまで、生きてはいたのだろう。家族は泣いて病人を呼び戻そうとし、ボクもとめどなく涙をこぼした。
 ボクは16歳のとき、板橋の兄に呼ばれて上京した。戦後の苦しい生活の中、親にとってありがたい口減らしだったろうが、あこがれの東京に出られてボクも幸せだった。
 兄夫妻には約一年間お世話になったが、甥はその同居中に生まれた。兄嫁が産気づいてボクは産婆さんを呼びに夜道を走ったのを今も覚えている。

 夜は理事会なので、亡骸を帰宅させる手配を手伝って、ボクは帰ってきた。理事会は無事に済んだ。けれども、今はすべてが虚しい。日曜日の今日は、午前中「その」で、石原園長と総代会議案書の印刷をしたが、途中でやめてしまった。明日は子どもたちとクッキング保育の約束をしている。どうしようかとうつろに考えながら、誰かにこの気持ちを伝えたくて書き込んでいる。


 6月3日(月)晴れ


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