ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 6月22日(金)雨のち晴れ
 朝事務所へひよこ組の子どもたちが迎えに来た。約束の時間になっていた。さっそく「おじさんの畑」のきゅうり4本を収穫した。子どもたちの小さな手に順番に握らせる。ポチポチのとげが痛い。「痛いのは新鮮だからおいしいんだ」。
 今年は天候不順のうえ、事務所前のおじさんの畑は午後にならないと陽がささないので、育ちが悪かった。それでも生り始めれば次々大きくなる。自然の力はたくましい。
 ケンカをしながら部屋まで運んで、自分たちで洗ってくれた。子どもたちのテーブルに出張して、ステックに切る。もぎたてだから、いい香りが部屋いっぱいに広がった。順番に匂いを嗅ぐ。
 それからビニール袋にステック3本ずつを入れ、塩を振って、袋ごと揉んで、板ずりきゅうりにする。子どもたちは自分で調理して自分で食べる気分だ。

 年長組は収穫したきゅうりやナスを順番に包丁で切る。合宿の夕食作りを前に、包丁の使い方の練習を兼ねている。ナスとピーマンは炒めて甘味噌であえて食べていたが、これはおいしかった。もともとクラスごとに苗を植え、水遣りもして収穫を迎えたのだ。

 年少組やひよこ組ではそこまで自分たちでできるわけではないが、可能なかぎり主体的に参加してクッキングを楽しむように配慮したい。
 収穫し、調理に参加して保育室ではよく食べたが、家ではやっぱり食べようとしない子もいるが、クッキング保育がきっかけで野菜が食べられるようになるケースも少なくない。日当たりの悪いおじさんの畑よりも屋上の畑のほうが収穫が多いとは思うが、毎日見えていて、身近なところがいいのかもしれない。

 今朝、枝豆のもぎ取りを子どもたちがやっていた。給食に枝豆が出るのは初物だろう。旬の食材を大事にする「その」らしく、しかも新しい食べ物に親しみをもって挑戦してほしくて、もぎ取りを手伝ってもらう。保育園の子も一緒にやっていたが、枝豆をちぎるのは意外に力がいる。真剣にやっている姿が微笑ましい。給食にはボールいっぱいの枝豆が配られた。お代わり自由でずいぶん食べていた。

 話は変わるが、6月17、18日、小学校の同窓会で下諏訪温泉に行ってきた。去年は白川郷でやったが保育園作りが忙しくて欠席した。2年ぶりにあう旧友たちはかなり老け込んでいた。自分のことは気づかない、というか、まだまだのように勘違いして生きているが、傍からみれば、旧友たちと同じようなものなのだろう。しかし、逢えば楽しい。
 幹事がよく準備してくれて諏訪地方を丹念に観光した。2日間はあっという間だった。みんな明日は分からないと自覚している。この一年にも何人か他界している。「来年も逢えるように気をつけような」といい交わして別れた。来年は何月になるか決まっていないが、郷里高山でやる予定らしい。


 6月10日(日)晴れ
 6月に入っても忙しい毎日が続いている。6日の人形劇サークルの新学期公演に備えて、3日はお父さんと遊ぼう山登りを休ませてもらって、ホールの人形劇舞台づくりをカーテン業者の元理事さんと働いた。その甲斐もあって、6日のお母さんたちの人形劇は新しい舞台を生かして、すばらしい出来栄えだった。
 保育園の0歳児、1歳児は生まれて初めて舞台芸術に触れたわけだ。泣きもせず、じいっと見つめていた。やがていつか劇に共感して夢中で見られるようになるだろう。
 同じホールで、9日土曜日の午前は保育園保護者の勉強会と保護者会「つばめの会」の発会総会が開かれた。
 保育生協から転園した人が多いこともあるのだろうが、発会総会の出席率はこうした集会としては高かった。委任状も30人あったが、実際の出席が70人を超えていた。
 保育の現場では保育生協の先生たちとの交流や協議が進んでいるが、こんどは保護者会が発足し、夏まつりを保育生協と保育園が一緒にやることで、親たちの連帯も一歩前進するだろう。
 午後、西公民館で「ふじみ野市・進歩と革新をめざす懇談会」の発会総会が開かれた。ボクも世話人を依頼されて引き受けたので総会に参加した。創業期の懐かしい父母に出会った。
 総会の後、記録映画「チェルノブイリハート」を見た。チェルノブイリの原子力発電所の事故の後、悲惨な奇形児の誕生が相次ぐ現実を、これでもかというほど見た。福島の後始末もできないまま、大飯原発を再開しようとしている野田首相にこそ見せたい。

 今日は卒園生家庭の有志で作るカッパの会の山登りだった。お父さんと遊ぼう山登りと一年遅れで、カッパの会は官ノ倉山に挑戦した。
 ボクは息切れしない自分のペースでゆっくり登った。それでも官ノ倉峠の広場に着いたときは汗びっしょりだった。ここで昼食をとる。まだまだ登りも下りもあるが、シートを広げて横になった。もう来年はダメかな、と目をつぶった。
 昼食の後、幹事の内山さんが「能登さん、ちょっと来て」といって、みんなも集めた。高野園長が指揮棒を振って「ハッピーバスデーツーユー」を歌った。遅まきながらのボクの80歳の誕生日を祝ってくれた。
 予想外のことで、少し慌てた。あらかじめ用意していた子どもたちの手紙が次々手渡される。挨拶と言われて、何を話しただろう。意外な場面で、見当違いなことをしゃべったかもしれない。
 家に帰ってリュックから手紙を出した。29通。兄弟で2枚入っている封筒もあって、くれたのは31人だった。幹事の事前の呼びかけがあったのだろう。
 みんな年長組の時には手紙ごっこでボクに手紙をくれた子たちだ。しかし長く離れていて、書く中身に困った人もいるかも知れない。でも、ボクを忘れないで書いてくれただけで、これは生涯の宝物だ。


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