ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 8月28日(日)晴れ
 園庭で運動会をやるためには元プールサイドのシュロの大木が邪魔になるので、午前中業者の協力で伐採し、鉄棒を移動した。これで10月2日、狭いながらもホームグランドで運動会ができる。心配して深野園長が来てくれたので助かった。

 午後、自宅に全幼協のニュースが届いた。全幼協というのは「その」の先生たちが保育研究のよりどころにしている小さいけれど全国的な研究団体だ。そこにボクの実践記録「食育で考える主体的参加の意味」が掲載された。「その」のクッキング保育を扱っているので、ここに紹介する。

              食育で考える主体的参加の意味

 事務所前に小さな畑があります。幅2メートル、奥行き50センチ、タタミを縦に半分くらい。ここに今年もきゅうり5本と、ナス3本の苗を植えました。「おじさんのはたけ」と看板を掲げます。午後しか陽のささない畑ですが、手入れのよさで、子どもたちの目の前でぐんぐん伸びて、まずきゅうりが収穫の時期を迎えました。
 2歳児と3歳児の5クラスで順番に「おじさんのクッキング保育」をしました。ステックに切ったきゅうりを、一人ひとりのビニール袋に入れ、塩を振り、自分で揉んでから食べます。みんなと一緒だから、野菜の嫌いな子も結構食べてくれるのです。
 野菜作りは年長組の活動でした。3歳児には栽培はまだ早いのでしょうが、きゅうりをもぐ、洗うなどは自分たちも参加できます。ナスも大きくなってきたので、3歳児のなのはな組で2度目のクッキングをしました。

  「毎日ムシムシと本当に暑い。プールがないと生きていけないと思うほど気持ちのいい時間です。『プールから出たら能登おじさんがいいことしてくれるから、遊びに行かないでね』と言うと、おじさんの置いていったホットプレートを見て、『なにするの?』と興味津々です」とクラス新聞は伝えています。
 「プールを終えて担任が着替えて戻ると、子どもたちも着替え終わってイスに座り、おじさんもいます。楽しみなことがあると、みんなやることが早い、早い」。

 それからおじさんの畑へナスときゅうりを採りにいきます。「ぼくが持つ!」「わたしが持つの」と押し合いへし合い、みんな順番に流しで洗ったのでした。子どもたちがイスに座るのを待って、テーブルごとに巡回して目の前でナスを切ります。まずピーラーで皮をむきます。黒い服が脱がされると、中から真っ白なナスが。「はだかんぼうだ」。それからヘタをとって一口大に切り分けます。

 「いよいよホットプレートへ。ジュージューと音がして、なんだか料理っぽくなってきたぞ。両面キツネ色になってきたところへ、お醤油をジャーっと入れました。その瞬間、プーンと部屋中にいい匂い。小さなお皿に二切れずつ入れてあげると、あっという間に『もっと!』『おかわりちょうだい』とお代わりの嵐に。K君は『Kちゃんナスきらい』と口にしませんでしたが、『この前ナス嫌いって言っていたひよこさん(2歳児クラス)もパクパク食べたんだってよ』と言うと、恐る恐る一口…すると意外に美味しかったみたい。二切れ完食して、お代わりまでしましたよ。野菜嫌いのY君もバクバク食べてびっくりです」。
 その後、きゅうりを輪切りにして三杯酢で食べた。「能登おじさんの特製秘密のタレ″(ただの三杯酢ですが)ひみつ″とつくと、美味しさ倍増です。これまたお代わりの嵐で、結局ナス5本、きゅうり4本を15人の子どもたちがペロリと食べてしまいました」。

 先生はただの三杯酢″と言いますが、酢の物をあまり好きではない私は、酸味のまろやかな穀物酢を使い、砂糖は多めに、醤油に塩を加えて濃い目の味にします。自分好みですが、子どももこれを好むと思います。

ナスもきゅうりも新鮮で、甘みがあり、確かに美味しいのですが、問題は料理の腕ではありません。どの道、適当をよしとする男の料理です。きゅうりやナスの苗が生長する場面を見ながら、やがて収穫し、洗い、この調理に主体的に参加することにこそ、意味があるのです。

 そらまめは栄養価の高い優れものだが、旬の季節が短く、食べたことない子が多い。そこで給食室は皮むきを子どもたちに頼んで、親近感を持たせようとする。とうもろこしの皮むきも頼む。たけのこは皮付きを縦半分に切って、中の幼い節の様子を見せる。「あっ、階段だ」…食材に近づくことが、給食に近づくことにつながるだろうか。

 与えられた給食を食べるのではなく、食管を運ぶ、当番で配膳を手伝う、主体的に参加することが食べることの意欲を引き出していくのだろう。

 そして、それは食育に限ったことではない。あらゆる活動が主体的に参加するとき、子どもたちの生きる力になっていく。課題を与えるときも、それを子どもたち自身の主体的な意欲に導けるような、保育士の人権意識とセンスに期待したい。


 8月26日(金)曇りのち晴れのち雨
 後半の夏季保育が始まった。まもなく2学期。年長組はまもなくソーラン節の練習に入る。右の切り絵は「ソーラン節を踊る・2010」。
 求められてカナダ・バンクーバーの日本美術館「ルーファス・リン・ギャラリー」に展示されていたが、5月9日からの展示期間がきょうで終わり、まもなく帰ってくることになった。
 一度見に行きますと伝えてあったが、そのの保育園建設が終わるまでは万一のことがあっても困るので、海外旅行には行かないと決めて、バンクーバー行きも断念した。どんな雰囲気だったのか、自分で見られなかったのは残念だ。

 見学者の感想が、ルーファス・リン・ギャラリーで面倒を見てくださった日本人女性からメールで伝えてくださった。

 『Wow, it is first time for me to see those kirie art. Very impressive!
 『I want to see a soran dance one day!
 『Those little kids with bare feet are so adorable.

 英語音痴のボクだが、辞書片手に大体の意味はわかった。(我流解釈かもしれないが…)。
 切り絵とsoran danceがいいイメージで受け止められたのなら、よしとしたい。購入を決めてから長期にわたって貸し出して下さったもえちゃんママに感謝したい。


 8月25日(木)雨のち曇り
 雨の中で地盤改良工事が進められていた。職人さんはびしょ濡れだ。地下深く8〜9メートルの穴を掘りながら、セメントを注入して、地盤を固めるらしい。油圧の力は驚くばかりだ。140本と穿つ穴の数が多く、しかも攪拌にも時間がかかるので、地盤改良に2週間くらいかかるらしい。


 8月14日(日)晴れ
 終戦記念日の前日、劇団東演の朗読劇「月光の夏」を見に、下北沢まで行った。8月に毎年この朗読劇をやってるのは知っていたが、音大生の特攻隊員が思いっきりピアノを弾いてから出撃した話は映画にもなったし、よく知っている話なので、見に行く気はなかった。
 今年は保育園建設の仕事が断続的にあるので夏の旅行などは計画していない。そこへ出演する甥の能登剛からお誘いがあったので、初めて行ってみる気になった。
 自爆させられた若者はもとより、生き残った特攻隊員も重たい不幸を背負った戦争の犯罪を、かつて見た映画とは比べようもなく深くえぐっていて、感動した。とりわけピアニスト仲道祐子さんの演奏が素晴らしかった。ベートーヴェンの「月光」をナマで聴くのは初めてかもしれない。美しく、激しく、堪能した。来年も見に行きたいと思う。帰りはうまいものを食べてと思っていたが、胸がいっぱいでまっすぐ家に帰ってきた。素敵な「夏」だった。

 開園の翌年に「その」に来た永井(旧姓山田)先生がご主人の生家に帰るために、ハクモクレンの木を植えて「その」を去ったのは何年前のことだったろう。それから何年かして、やはりご主人の実家に帰るために山野辺(旧姓田村)先生が退職するとき、ヒメリンゴを記念に植えて行ってくれた。そのヒメリンゴは大木になり、いま青い小さな実をびっしりとつけている。

知覧特攻平和会館

 創立当初の職員がいた頃は、時折永井先生の案内で一緒に旅をしたこともあった。その時代から幾年たつものか…山野辺先生から手紙が来た。
 「少しばかり募金を送ります。『子どものその』の認可に向けて、お役立て下さい。『子どものその』の認可は長い間の願いでした。この長い年月、よりよい子どもの成長と発達を願うたくさんの父母と職員の熱い思いと連携とたゆみない努力が、引き継がれ、つみ重ねられて、ここに来たのだなあと、途中で『その』を離れてしまった私には、感慨深く、改めてその偉大さをおもっているところです。
 これからもご苦労が多いことと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
 そして多額な子どものその保育園の建設募金が別便で送られてきた。

 「その」の先生たちが保育研修のよりどころにしている全国幼年教育研究協議会のよその先生たち3人からも暖かい建設募金が寄せられた。その中の東江先生は手紙ではなく口頭だが、気持ちを伝えて下さった。「あなたたちが幼保一元化の最初の実験をするんだからね。応援しているよ。頑張って!」
 「幼保一元化」という言葉をよく聞くようになった。「認定こども園」は制度化され、これが幼保一元化の一つの形とされた。幼稚園と保育園が同居すれば幼保一元化なのか? No!と言いたい。
 明治以来、中流家庭の子女の教育と、「日々保育に欠ける」というイヤな言葉でくくられる子どもを、別の教育・保育施設に分離する制度と、それを容認する考え方に問題があるのだ。家庭環境がどうであれ、例えば3歳の子どもに必要な教育はひとつのはずではないか。
 子どものそのの敷地の中に保育園を建てることは第一歩で、私たちが探求するのは家庭の環境によって差別されない一元化された保育内容なのだ。それを分かって応援してくださる方の期待に応えていかなければならないと思う。


 7月30日(土)
 昨日、近藤建設と保育園建設工事の請負契約を結んだ。2億円を超える発注はボクには初めての大仕事だ。
 国と市の補助金だけでは足りなくて独立行政法人福祉医療機構から低利の融資を受ける計画になっているが、機構から借入申込の受理票が届く前に請負業者と契約をすると、借入申込は無効になるという縛りがあった。
 しかし、借入申込は、県の国庫補助決定通知を受けた後、県の意見書を添えて出すことになっている。その県の決定通知がなかなか下りて来なかった。下りる予定の直前になって、ホールやトイレの詳細面積の問い合わせがあった。そんな質問の答えは簡単だが、基礎工事のくい打ちは、土地の価値を高めるための工事だから補助の対象にならない、などと言われて困ってしまった。これはふじみ野市の担当職員が、土地の価値を上げる工事ではなく鉄骨2階建てに必要な基礎工事だと説明してくれて、やっと納得してもらった。
 なんだかんだで1週間決定が延び、決定されてからその文書が届くまでにまた一週間かかった。福祉医療機構への意見書は急いでやってくれたが、それでも上司の決済もあってまた一週間かかった。そんなわけで福祉医療機構に借入申込書を届けたのは7月25日になってしまった。でも、機構の担当者は事情を分かってくれて3日で上司の決済を受け、受理票を速達で送ってくれた。
 かくして、予定通り29日に契約、起工式と取り運ぶことができた。
 この間、約一ヶ月胃の痛むような心配な日が続いた。昨年に比べ国庫補助の決定が埼玉県はうんと遅かったらしい。震災関連の何らかの事情があったのだろうか。しかし、県というところは県民には何も説明しない。しても市町村にだけである。
 機構への意見書を取りに県へいったとき、国庫補助の事務を担当してくれた若い職員に、いろいろお世話様でしたとお礼を言った。本人も笑顔で答えてくれた。みんな悪意があって遅くしたのではあるまい。ただ、行政機関のなかではそうなってしまう、或いはそうするしかないのだろう。
 われわれ民間にほ、到底理解できないことではあるが…。われわれの答えは、子どもたちのために、また地域の子育て世代のために、ひたすらいい保育園を建設することだ。
 子どもたちが鍬入れをしてくれた。やったのは年長組だけだが、ひよこ組から年少組、年中組の子どもたちも遠巻きに見学した。
 そののなかにまた別の園ができる。そこへ移る子も残る子もいるが、保育園と「その」の二つを合わせたものが「子どものその」なのだ。そのように胸を張れる保育園の保育内容と職員体制を整えていかなければならない。


 7月23日(土)晴れ
 夏まつり。関係者のみなさん、お疲れ様でした。みなさんの頑張りが素晴らしい夏まつりとなり、子どもたちにかけがえのない思い出の一つとなったことでしょう。ほんとうにありがとうございました。
 挨拶の後、舞台から花火を見て、いままでどこに散らばっていたのか、ものすごい数の参加者に驚きました。事故もなく楽しくできて、よかった
 
ボクにとっては卒園生と会う楽しみが最高だ。今年も大学生から小一まで、たくさんの卒園生と言葉をかわした。「おじさん、切り紙まだやってるの。あったらくれない?」と言ってきた子が二人いる。去年の残りを何枚か上げた。

 夏まつりの準備は、ボク自身はほとんどできなかった。役員や職員に頼りきりになってしまいました。国の安心基金(補助金)の交付が、今年は県で何事かあったのか遅くなって、仕事が先に進められず難儀をした。7月1日決定の予定が8日になり、しかも決定文書がふじみ野市に到着したのは21日だ
 一応決定は下りたようなので、福祉医療機構からの借入金の手続きに必要な県の意見書を依頼して、これは一週間でできた。(県としては異常な早さだ。担当者に感謝したい。)
 まつりの前日22日に、保育園建設工事の入札をした。補助金事業なので、ふじみ野市の保育課長、保

育係長に同席していただく。6社による指名競争入札で、元札の作成が苦労だった。震災後の原材料の不足や値上がりなどの風評が価格にどう反映するか、読みきれなかった。元札が低すぎて落札者がなければ2度、3度の入札もやむを得ないと覚悟していた。
 幸い近藤建設がギリギリセーフの価格で一回目に落札した。一安心しているところへ、県から電話があり、前述の福祉医療機構への意見書ができたという。「郵送しましょうか?」…いいえ、いただきに上がります、ということで、3時前に県に到着、文書を受けとった。
 そのへ持ち帰って、用意してあった福祉医療機構への借入申込書に市と県の意見書を加えて、郵便で発送したのは5時ギリギリだった。福祉医療機構は政府資金を低利で貸し出す独立法人で、同機構の受理が終わらないうちに請負業者と契約を結ぶことは禁じられている。県の補助金決定通知が遅れたので、意見書も遅れ、借入申込も遅れた。民間のわれわれにはこのスローテンポは到底理解できない。ストレスに弱い人ではとても耐えられないだろう。
 無神経なボクでも、この2週間は睡眠導入剤のお世話になった。でも、すべて順風に乗りつつある。暑い夏、頑張るぞのココロだ。


 7月10日(日)晴れ
 この一週間も忙しく過ごした。新しい保育園の補助金の決定が予想より遅くなって、気持ちがスッキリしないまま、忙しく働くのは虚しいものがある。でも、子どもと触れ合っているときは悩みを忘れられる。それがボクの幸せだが、ひとりに戻ったときは辛さはどっと重たい。ようやく8日に決定の内示が伝えられ、心底ホッとさせてもらった。
 きゅうりを使ってのクッキング保育。ひよこ組から年少の4クラスを一回りした。今度はナスが大きくなったので、ナス焼きときゅうりの三杯酢を、ひよこ組となのはな組でやった。
 おじさんの畑まで収穫に行って、自分たちで洗って、目の前で調理する。いい加減をもって良しとする男の料理。材料が新鮮だから確かにうまい。作れば作っただけ、お代わり、お代わりでなくなってしまう。冥利につきるとはこのことだろう。

 文庫委員会主催の絵本の勉強会で講師をした。「母はわがいのち」と題して、幼いとき母から聞いたはずの(だが、確かな記憶のない)昔話のことを話した。関連して、母の賢い叱り方、育て方についても話した。辛い人生を生き抜いた明治の女について話した。「死んだ親が後に残す宝物は何ぞ。男らしく力強い、それは仕事のうた…」ロシア民謡の一節を歌った。親の無償の愛こそが読み聞かせの心だということを、少しは伝えられただろうか。

 そのBabyの夏まつり。Babyを卒園して「その」に通園しているめろん組の子たちが可愛らしくお化粧して、手作り神輿をかつぐのが恒例になっている。浴衣に豆絞り、そして小さなお神輿。それは日本の文化だ。
 新保育園の合同建設委員会、その保育方針小委員会で論議されている「保育理念」の一項目に「ほんものの文化やあそび: 豊かな文化やあそびの中で子どもを育てます」とあった。
 少し恥ずかしげに、緊張して、化粧をしてもらう子どもたちを見ながら、9年目の夏を迎えた「そのBaby」の成長を思った。


 7月2日(土)晴れ
 昨日からの年長組の合宿は天候に恵まれ、病気で短時間参加の子もいたが、全員が参加できて何よりだった。
 職員が総出で2日間を盛り上げる。ベビーへ転出した吉田先生も昨年のクラスの応援に来た。ベビーからは南園長、寺田主任、それに今年就職した卒園生の嶋田先生も助っ人に来てくれた。

 夕方、その南先生にらいおん組のかい君が声をかけた。「ミナミィ、遠き山に日が落ちたぞ」。
 かい君はベビー出身だし、めろん組にもいるのでそばにいた南先生に声をかけられたのだろう。
 でも、南先生はその歌を合宿のために練習していたのを知らなかったし、一瞬何を言われたのか分からなかった。
 かい君が指差すのを見ると、いま真っ赤に焼けた太陽が、西の地平に沈んでいくところだった。
 「そうか。遠き山に落ちていくのか…ベビーじゃ夕焼けは見えるけど、日が沈んでいくのは見られないものね」。
 「うん。」かい君は力をこめて言った。「今日だけなんだよ。今日合宿で夕方までいたから、見ることができたんだよ」。
 南先生は赤ちゃんのときから見守ってきたかい君の素敵な感性に思わず涙ぐんだという。

 野菜を刻み、米を研いで、夕食のカレーライス&野菜サラダの夕食作りは、子どもたちみんなの参加でしっかりやった。米研ぎを全員参加でやったクラスもあったが、これは分担であっさりやった方がよかったかもしれない。先日の練習炊きのときほどうまくいかなかったクラスもあった。
 でも自分たちで作ったものは美味しい。野の花を摘んでテーブルに飾られ、盛り付けは自分で大盛りの子が多かった。

 「遠き山に日は落ちて」の歌が終わると、火の神の出番と定められていた。火の神は雲の間から音もなく「その」の玄関に降り立った。
 「原始の人は火を知らなかった。あるとき大風が吹き、木の枝がこすれて山火事になった。鳥も動物も、人間もみな逃げた…」。
 火の大切さを語ってから、火の神は天に向かって打ち上げ花火を放つ。爆発の反動で、火の神の手が震えた。
 火の矢が飛んできて、木組みのやぐらが一瞬火に包まれた。なかなか感動的な場面だ。
 子どもたちは歌う。「♪燃えろよ燃えろ、炎よ燃えろ…」。それから新河岸川の河童たちが4匹も遊びに来た。今年は畑のきゅうりを食べられることもなかったが、河童たちはちゃんと来てくれて、頭のお皿がファイヤーの火で乾くまで遊んでくれた。
 打ち上げ花火もナイヤガラ花火も美しかった。それから園庭の露天風呂も楽しかった。 


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