ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 5月24日(火)雨のち晴れ
 今日になって足腰が重い。痛いまでは行かないが、だるいよりは辛い感じだ。22日の鐘撞堂山ハイクの後遺症だろう。出るのが遅いのは高齢のせいだ。
 20日はなぜか大勢の園児に園庭で会うたびに「誕生日おめでとう」と声をかけられた。こんなこと初めてだ。「おじさん、いくつ?」「9歳だよ」「ふーん」。怪訝な顔に、「大きいだろう」と威張ると、「ボク3歳」「あたしもう4歳」と、あどけない。
 誕生日が過ぎて22日、カッパの会の鐘撞堂山ハイクに行った。深野園長や石原主任は、このところムリが続いているのを知っているので、行かないほうがいいと言ってくれていたのだが。
 カッパの会の内山さんは「そうやって年寄り扱いして、そこへ馴染んでしまうのはどうかなあ?」と参加を期待していた。
 午後は雨になったくらいで、そんなに暑くなかったのがよかった。自分で先頭を歩き、小学生にも先に行っちゃダメと抑えて、マイペースで歩けたのもよかった。息切れはしたが、どうにかたどり着けた。正直、小高い丘のようなコースなのに、やっとやっとだった。
 来年はもう遠慮するようかも知れない。(去年もそう思ったが…)。小学生たちと少しはおしゃべりできて、楽しさは最高だった。


 5月17日(火)曇りのち雨
 金勝山への山登りの間、天気がもってくれてよかった。朝は長袖で来ていたが、それはバスの中で脱いで半袖になった。でも、山坂を登ると汗が噴き出した。急な坂道も岩場も昇りはどうにかなるが、急な下りは怖くて座り込んでしまう子がいて、結構難しいコースだ。
 沼の主のいる沼を過ぎてからは先頭を歩かせてもらった。先頭を行けば、最後のクラスのときまでには頂上に着けるだろうと誰かさんに入れ知恵されたわけ。急な”丸太の階段”を頑張ったが、今年は野いちご一つ生っていなくて、足を停められない。途中で足が重く、心臓が苦しくなって、「おじさん疲れたなあ」と言うと、子どもに「どうして疲れたの?」と不思議がられてしまった。「一休みしていくよ」。でも先頭のクラスの最後尾あたりで頂上手前の岩場に着いた。頂上で記念撮影をした後は、最後尾の子と手をつないでゆっくり行く。いつもはお弁当の場面で、休む間もなく写真撮影に追われるのだが、今年は園長と丸山君に頼んで、弁当をのんびり食べた。「こんな山、若いころは走って登ったもんだ」と昔のことを言っても始まらない。
 22日は卒園生家庭の”カッパの会”の鐘搗堂山ハイキングだが、行くべきか断念すべきか、思案のしどころだ。


 5月16日(月)晴れ
 旧園舎の解体が一応終わった。広々とした新しい園庭。いまは言うべき言葉のない思いだ。


 5月14日(土)晴れ
 一年生の集いは卒園した119名のうち115名も参加してくれて嬉しい。大事な会議と重なって、子どもたちと一緒に遊べなくて悪かった。自分も残念でならない。
 会議が終わり、一年生も帰った後、卒園生父母のカッパの会代表の内山理事と22日のカッパの会ハイキングの打ち合わせをした。申込は親子で110人という。鐘撞堂山へ行く予定だが、このごろ大分体力が衰えて、なんか自信がない。17日には年長組の山登り金勝山があるので、「その様子を見て決めれば」と言われてしまった。
 工事の整地の状況を見ながら二人で話しこんでいると、道を行く知人から会釈をされた。近くによって見ると、車椅子に白髪のおばあちゃんを乗せている。隣の総合病院に入院して、散歩に出たのだろう。その知人はAさんの娘さんだったと急に思い出した。「お母さん?」と訊くと、知人はうなずいて「ホラ、お母さん、能登さんよ。覚えてる?」。
 車椅子のおばあちゃんは上品な顔を向けて「少し太りましたね」と言った。「その節はお世話になりました」と、ボクはお礼を言う。
 おばあちゃんの孫が在園中、亀久保の土地を「その」に貸してくださることになり、「大井子どものその保育園」を計画した。1977年のことだ。残念ながらこの計画は、「子どものそのを誘致すれば、保育内容がいいの悪いのと面倒が持ち込まれる」

と町役場の担当者が反対し、大井町長も同意してくれなかったので挫折した。
 おばあちゃんの孫は病弱で、「その」を卒園して数年後に亡くなったと聞いたが、おばあちゃんとはその後お目にかかる機会がなかった。今日偶然に30数年ぶりに再会した。「若いねえ。子どもたちのためにずうっと元気で頑張って…」と小さな声で励まして下さった。
 偶然ではあろうが、整地も済んでいよいよ保育園作りという大事な局面で、病気療養中ながら気持ちは老いを知らないしっかりしたAさんに会えたということは、偶然とばかりは思えない。
 ありがとうございます。頑張ります。…思いをこめて、ボクは車椅子を見送った。


 5月10日(火)曇り
 カナダ・バンクーバーのルーファス・リン・日本美術ギャラリーから連絡があった。
 きりえ「ソーラン節を踊る」が5月9日から8月26日までの予定で展示された。
 「見に行ってください」と言えないのは残念だが、「その」の子どもたちの姿を北米のみなさんに紹介できるのは嬉しい。
 作品は“素人の手慰み”の範囲を出るものではなく、展示に値するかどうかは別として、日本の漁師の古典的な踊りを、その労働の意味を子どもなりに理解して、力強く踊る姿は美しい。

 このホームページは、きりえギャラリーのために作ったもので、「理事長の保育日誌」は添え物だったが、この頃は保育日誌の読者が多くなったようだ。
 それも仕方ない。きりえは趣味の世界で30年近く楽しんできた。忙しくてストレスがたまると、夜中まで制作に打ち込んで、悩みを忘れてきた。絵心があり、デッサン力があれば、もっと素敵なきりえができるだろうが、ボクは「絵」というよりカッターナイフを使った「工作」の気分で楽しんでいる。まあ大工のせがれで、子どものときから刃物に親しんできたから、こんな趣味が持てて幸せだ。
 でも「絵」としては稚拙でも、モデルの子どもたちと「その」の自然の豊かさはボクの自慢なのだ。


 5月6日(月)曇り
 連休中日を振り替えて休園にしたので、一週間ぶりに子どもたちがやってきた。
 様変わりぶりに、さぞかし驚いただろう。「どうしてこわしたの?」と、いぶかしく見つめる子が多いなかで、とんぼ組のゆうと君は、かばんをかけたままで作業員に向かって「壊すなあ! やめろッ」と大声で怒鳴っていた。去年の今頃は「その」への入園で環境が変わり、戸惑って元気がなく、いつも先生のそばにいたが、しばらくしてふだんのゆうと君に戻って安心していた。でも、同じバスの友だちと一緒に、自分が先立って思いをぶっつけられる姿を見て、ホッとした。やはり元気な子がいて「その」なのだ。
 工事現場を背中に、こどもの日の行事が行なわれた。平穏な日常を作らなければと思う。


 5月4日(水)晴れ
 先月29日に始めた旧園舎のとり壊しは6日目を迎え、連日天候に恵まれて捗ったので、きょう夕刻にはホールと元年少・ひよこ組の6室の建物がおおむね解体された。広々とした空地に、鉄や木材やコンクリートに分別された廃材が山と積まれている。ホールの頑丈な基礎はどうにか解体できたが、これから保育室周辺のコンクリート撤去が大仕事だ。
 解体に毎日立ち会っている。いればハプニングもあっても、すぐ現場と相談できるのがいい。見ているだけでもつまらないので、その間に「おじさんの畑」 

を作った。ナスが3株、きゅうりが5株、苗を植えたが、まだ寒い夜もあるので風除けのシートを張った。去年、一昨年よりも少し早い着手なのできっと収穫も多いだろう。ひよこ組、年少組4クラスと今年も「クッキング保育」を楽しむつもりだ。
 例年、ナスが苦手だった子が食べられるようになる。ナスが育つのをみて、また収穫に立会い、目の前で料理をし、喜んで食べる友だちもいるから、ついつられて食べてしまう。それで美味しいのが分かれば幸いではないか。
 それから、トンネル山のアタマを打ちそうな角に安全パットを取り付けた。前からやりたかったのだが、不勉強でコンクリートと人造ゴムの接着剤を知らなかった。それを購入して試しにつけてみると、意外によく着いて離れない。トンネルの中にも貼るべき所がたくさんあって、15箇所につけた。これで一安心だ。
 そんなことをやりながら、重機の巧みな操作に見とれているうちに、7日間の連休も明日一日になってしまった。


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