ときめいて子育てを

 

 
                 
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 4月29日(金)晴れ
 今日から旧園舎の取り壊しが始まった。一緒に事務所脇の倉庫も撤去することにした。二階建てにぎっしり荷物があって、その移転、処分に数日忙しい思いをした。建物は比較的新しくしっかりしているが、遥壁のブロックがひび割れ、基礎が沈んで放置できなくなった。
 階下の倉庫を片付けていたら、部屋の隅にかばん掛けの名札が出てきた。そういえばひよこ組の創設期にここを保育室に使ったことがあった。名前からみると、たぶん22年前ころだろう。
 「しまださやか」さんは大学を卒業して4月からBabyの保育士になった。「たかやかずのり」君のお父さんは、理事をしていてトンネル山づくりのボランティアの中心メンバーの一人だった。さやかちゃんとかずのり君は川島町から通って、未だに親交があるという。ここに写ってはいないが、やすのたえさんはみほの幼稚園長の娘さん、みずむらゆうかさんは前に「その」の保育士をしていた水村ちひろ先生の妹だ。
 こんな狭い部屋でひよこ組をやった年もあったのだ。46年という歳月の移ろいは語り尽くせるものではない。

 事務所脇の倉庫でさえそうだ。ましてホールとなれば、5717人の卒園のお祝いをした。いま年少の保育室だったところはむかしは年長組の保育室だった。あそこに1クラス35人が遊んでいた。10年かけて順次30人に減らし、20年前に広い新園舎に移った。苦しい経営の中でも、やることはやってきたと思う。大勢の父母の力があれば、これからも前進できるだろうと、壊れていくホールや倉庫を見ながら、むかしのことを思い返した。


 4月25日(月)曇り・にわか雨
 年少・ひよこ組の合同クラス会で保育の考え方について話した。直前に嵐のような風が吹き、夕立のような雨に襲われたので、出席したお母さんは大変だったろう。
 それにつけても昨日の「旧園舎とのお別れ会」は好天に恵まれてよかった。前日は雨、朝起きて一点の雲さえない青空に狂喜した。

 「旧園舎お別れ会」はいろんな人に逢えて、楽しかった。上の写真の左側の女性は第1回卒園生のみどりさん。第二回運動会(1966年)の旗体操の中に自分の姿を見つけてくれた。彼女のお父さんは設立発起人の一人で、開園したそのの理事長に就任を要請したが、どうしても引き受けてもらえなかった。生活できる給料を払う見込みが無くては仕方がない。でも、定年退職後は、4号車の運転を手伝ってくれた。ガンに侵されるまで「その」のそばにいて、世を去った。

 今年2月ごろ、年長組の手紙ごっこで、あやかちゃんが、「おじさん、むかしやまもとりつこというこがいたの、おぼえてる?」と書いてきた。
 「そういえば、きどうりつこというこはいたよ」と返事をすると、「そう、そのひとがわたしのおかあさん」と喜びの手紙が来た。…その二人が2枚の保育証書を持って来てくれた。証書番号は2000番台と5000番台。「みんなおんなじですね」と律子さんは言ったが、「そのの判こは作り直したから微妙に違うんだ」「ほんとだ!」と盛り上がった。

 大学2年生の女の子が3人で来て、記念撮影を所望した。「おじさんは、どうせ誰だか分からないでしょうけど…」と携帯を構える子が言った。
 「分かってるよ。きみは佐藤だろ」「えっ、なんでわかるの?」「だって、お母さんそっくりじゃん」
 理事長というのは子どもよりお母さんたちとの関わりが深い仕事なのだ。

 園庭に立っているだけでいろんな人と交流できた。その味の手作りドーナツの売り場には行列ができた。受付名簿に名前を書いた人だけで860人を超えた。この集いを知らなかった人や、都合で来られなかった人たちも含めて、たくさんの人の「その大好き」の気持ちを感じ取ることができた。
 ふじみ野市は2日前に県に補助金の本申請を提出した。旧園舎の取り壊しを手始めに「子どものその保育園」の建設事業は急ピッチで進んでいく。まずは健康に気をつけ、老体に鞭打って、この大事業をやり遂げなくちゃと決意を新たにした。


 4月15日(金)晴れ
 空気が乾きすぎて一雨ほしいくらいだが、新学期はお天気がありがたい。外へ飛び出して遊べれば新学期の緊張もほぐれる。笑顔が日ごとに増えていく。猫の手も借りたいこの時期、ほかに急ぎの仕事が無いわけではないが、ついつい子どもの中に入り込んでしまう。
 「おじさん、明日ドロケイやろう」と、年長組に誘われた。年長になった誇りが弾んだ声にこめられている。「おれ、ケイ。おじさんどっちやる?」「ドロやろうかな」「逃げるほうだよ。おれ、早いよ」。
 とても年長組とドロケイをまともにやるのはムリだ。この子たちには80近い年寄りの悩みは分からないだろうな。

 1日目泣いているのをなだめて仲良しになったなのはな組のゆのちゃんは、すっかりクラスに居場所ができて、ボクとは挨拶するだけになった。
 替わってすみれ組のおうすけ君に頼りにされている。初めての給食の前、「カレーいやだ。おやつ食べたい」とつぶやいていたが、いざとなるとバクバク食べる。3回か4回お代わりした。食べた後、「おそといく」というので、靴を履いて外に出ると、「すなばしたい」という。砂場に連れて行っても中に入ろうとしないし、道具を手にするのも嫌がっていたおうすけ君だが、給食をしっかり食べられた自信が、積極的な気持ちを引き出したのかもしれない。

 遅バスを待つ時間、ベビーから来たちゅうりっぷ組のなつきちゃんに出会うと、珍しくひざの上に乗ってきた。しっかりもので何の心配も無い子だった。「そのはどう?」と聞くと、「楽しいよ」と答えたが、抱かれたまま顔をボクの肩に埋めた。赤ちゃんのときから一緒なのに、こんなことは初めてだった。よく分かる子だけに、新しい生活に少し疲れているのかなと思った。新学期はどの子にも心配りが必要だ。

 年少の3クラスは仮設のプレハブで保育を始めたが、意外と住み心地がいいようだ。旧園舎の取り壊しを前に、業者の出入りが多く、あわただしい毎日だ。
 4月24日には旧園舎にお別れの会を開く。老朽化して建て替えるしかない時期を迎えたというのに、いざ壊すとなると、なかなかいい保育室と思えてきて、辛く寂しい。

年少(すみれ組の給食初日)

落ち着いて給食を食べるひよこ組

年中組みはさすが余裕の給食初日


 4月11日(月)晴れ
 新学期が始まった。ケヤキが芽吹いて黄緑が美しい。砂場のそばのヒメリンゴのつぼみも大木の枝にびっしりふくらみ、まもなく咲くだろう。
 すみれ組の子が砂場で遊んでいる。泣いて抱かれている子も、そばに立って見ているだけの子も、気持ちは遊びに参加している。見るのは参加の始まりなのだ。
 何日かして制服のブレザーを脱ぐころには、みんな安心して遊べるようになる。今年は泣く子が少なくて心配したが、ぼちぼち様子が分かってきて「ママがいい」と泣ける子が出てきた。初日に泣いてボクが相手をしたなのはな組のゆのちゃんは、今日

はめそめそしながら「おじちゃんは?まだこないの?」と待っていてくれたらしい。連れ出して、「土で山を作るから見ていて」と、土方仕事を続けていると、「さむいよ」とゆのちゃんは言う。確かに風が冷たかった。でも、一緒にいて安心できたらしく、ゆのちゃんは機嫌を直して部屋に戻った。バスを待つ時間また一緒にいて、元気に帰っていった。なんだかんだ、ゆのちゃん以外にも泣いている子を3人なだめたが、みんな自分があって泣いているので、いずれクラスに溶け込んでいくだろう。

 きょう、バンクーバーのルーファス・リン・ギャラリー宛てに切り絵「ソーラン節を踊る・2010」をEMS便で送った。
 この美術館は、ルーファスという人が日本の美術を北米に紹介する目的で創設されたもので、展示する作品選考委員の目に、ボクのホームページの作品が映ったらしい。それほどの絵ではないが、はっぴを着て、豆絞りを結んで、漁師の踊りを踊るというのが“日本的”に見えたのかもしれない。
 ボクの切り絵も、ハンガリー、フィジーについで3回目の外遊だ。たいした作品ではなくても、「その」の子どもたちの生き生きとした姿を伝えられれば無常の喜びである。


 4月8日(金)晴れ
 きのう園庭の桜の花の下で第47回の入園のお祝いをした。両親、祖父母、兄弟姉妹と家族ぐるみの参加で、春風のような暖かさが「その」を包む。被災地のみなさんに申し訳ないような穏やかな一日だった。
 でも、お祝いが終わって、お母さんの一人と話していると、福島の被災地から避難してきていたご両親が家も気になるし、仕事もあると、原発の近い実家へ帰っていかれた、ということだった。
 深野園長の茨城の実家も、保育助手の小野先生の陸前高田の実家も被災された。小野先生の家族は無事だったが、親戚には犠牲者もあったという。
 子どもたちが笑顔で暮らせるように、安定した日常を確保することが、私たちの仕事だし、それが大きな意味では復興の力につながっていくと思う。今年も竹とんぼと紙ロケットを飛ばした。上空にやや風があって、発射台つきの竹とんぼは空高く舞い上がり、風に乗って旧園舎の屋根に落ちた。
 紙ロケットも、スペースシャトル(無尾翼ロケット機)も風に乗ってひさしの上まで飛んだ。まあ上出来の余興だったろうか。
 きょう年中組らしい女の子に、「おじさん、ロケットは?」と聞かれて、「しまってあるよ。今度やろうね」と答えると、「やっぱしね」…貸してくれないと思ったよ、と見通していた感じで帰っていった。
 貸さないわけではないが、そのとき年少の新入園児が「おしっこ!」というので、手が離せなかったのだが…。

 今日午前は初日の「その」にいて、午後ベビーに行った。赤ちゃんのときベビーにいて、そのを卒園した4人が、両親とそろって、入学式の帰りに立ち寄ってくれた。居合わせた職員と玄関で記念撮影をした。ボクにとっては、そのに来てからよりも、個性的だった4人の赤ちゃんのころの思い出が懐かしい。運動神経が抜群でリレーのアンカーを頑張ったたいせい君。反対に粘り強く努力して跳び箱もはんとう棒もやり遂げたもえちゃん。あかりちゃんとゆうた君は穏やかな性格でいつも友だちに好かれていた。10年後にまた会ってみたい。


 4月1日(金)晴れ
 子どものそのBabyの入園のお祝いだった。早いもので今年は第9回の入園になる。
 Babyを卒園した下の子の入園がだんだん多くなってきた。Babyを卒園して子どものそのに通園している子や「その」も卒園した子の付き添いがいるから、以前と違ってにぎやかなお祝いである。
 新入園児は名前を呼ばれるとお母さんが高々と抱き上げて自己紹介をする。(本人はなんにも分かってはいないけど)…いつもながら、とても暖かい雰囲気になる。まったく新しい父母もいるが、Babyもそのも分かっている先輩がいることで、全体が落ち着いた集いになった。
 8年間というのは一つの歴史だ。子育て支援事業も年間1万人近い利用者で活気がある。予約や人数制限のないBabyの支援センターは、地域の子育て世代を支援するという目的をしっかりと踏まえて運営されているからだろう。

 簡素で暖かな入園のお祝いが終わって、記念撮影に入ったとき、0歳児のクラスで隣同士になった二人が向かい合って、おもちゃを手にした一人が、相手に差し出すのを見た。ファインダーをのぞいてのことだから、経過は分からないが、差し出されたほうは玩具は見たけれど受け取りはしなかった。「貸してあげようか」と思って差し出したのかどうかも分からないし、相手もどう思ったかわからない。でも、こんな風にして見知らぬ人に興味をもち、やがて友だちになっていくのだろう。

 子どものそのから吉田良子先生がBabyに赴任して、1歳児担任になった。新学期準備に加わった第一印象は、「ゆったりと時間が流れていく」だった。そのは一旦退職し、社会福祉法人の職員としてまた来年子どものその保育園に帰ってくる。
 「その」の卒園生で保育士となった田中数馬君は昨年から、嶋田紗也香さんはこの春からBabyで修行し、来年は吉田先生と一緒に子どものその保育園に移る予定になっている。




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