ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 3月22日(月)晴れ
 素晴らしい卒園のお祝いだったと思う。
 会場いっぱいの家族のみなさんは、窮屈で暑い会場だったが、最後まで暖かいまなざしで、子どもたちを見守ってくださった。一つの大きな区切りまで育て終えて、感無量とはこのことだろうか。
 一人ひとりが輝いていた。しかも、116人が保育証書を受け取る子どもたちには長い時間を、緊張感を持続させてしっかり待つことができた。
 興味ある課題を共有して、持続的に取組み、やり遂げた達成感と自信が、卒園のお祝いを盛り上げる根源的な力になっているに違いない。
 学校で一番大切なことを話したとき、ボクに注目する232の鋭く、美しく、賢い瞳。…いまの子どもたちは素晴らしい。
 ボクたちの子どものころには考えられなかった知性、言葉の豊かさ、身についた体験、しかも運動能力もたいしたものだ。
 この子たちとともに在ったことは幸せだった。保育園建設で多忙を極めた一年だったが、幸い風邪ひとつ引かなかった。9月から12月まで、毎日のように「きりがみ」を年長組と楽しんだ。1月から卒園の前日まで「手紙ごっこ」もできた。
 例年コタツでうたた寝して風邪を引き、冬の間中咳き込んでいたが、今年は病気は出来ないと覚悟して、うたた寝にも心した。
 年長組の子どもたちと同じように頑張りきれてよかった。卒園のお祝いが終わって園庭で別れを惜しんでいると、こうすけ君とご両親が来られて、手紙ごっこの話になった。
 お母さんが「こうすけは能登さんに手紙が書きたくて、字を教えてって言って来ました。自分から目的があって字を覚えたんです。とても素敵な文字との出会いで、よかったです」と話された。
 こうすけ君は前にもこの保育日誌に書いたが、初めのうち本文なし、名前だけの手紙をくれた子だ。最後には文のある手紙をくれていたが、そうだったのかと納得がいった。毎日20〜30通の返事を書くのは大変だったが、こうすけ君のお母さんの話を聞いて、頑張って続けてほんとうによかったと嬉しかった。


 3月21日(水)晴れ
 きょうもいい天気だったが、きのうの天気は保育園の落成祝賀会にふさわしい好天だった。
 無認可の厳しい経営を打開するために保育園の認可を受けるという方針を決めたのは、1977年の総会だった。それから30年余、チャンスに恵まれなかった。しかし、無認可の厳しさとの戦いがあったらばこそ、そのは父母と先生が心を一つにして経営を守り、いまの保育を確立することができた。
 しかも、そのをそっくり保育園化するのでなく、生協立の「その」はそのまま残して、保育園と「その」を総合して、一つの

「こども園」にするという新しい道を探求することにもなった。それにふさわしい職員体制も整った。写真はそのスタッフが「はるってすてきだね」を歌った場面だ。まだ「その」や「ベビー」から移動する人や他園に勤務する人は、出勤は月末になるだろうが、新卒の若い職員を中心にきょうから本格的な準備が始まった。忙しくなるが、頑張らなくちゃ。「その」の卒園準備もあるし…。
 子どものその保育園の落成祝賀会の第二部、懇親会のテーブルを囲んで、左からボク、右へ近藤建設会長の近藤博政氏、ふじみ野市長高畑博氏、市議会議長岸川弥生氏、県議加藤末勝氏、その手前、前県議山川すみえ氏…なかなかの顔

ぶれとなった。無認可の長い歴史…それは社会的認知の得られない苦しい歳月だった。存在することが戦いであり、存在し続けることが勝利でさえあった。いま『その』の新時代を予感して感無量である。


 3月17日(土)
 子どものそのBabyの9回目の卒園のお祝いが開かれた。卒園は11人。一人ひとり、しっかり保育証書を受け取った。でも、「能登おじさんから大事な手紙をもらおう」と言ってもらったのに、さっそくいじって遊ぶ子もいて、それを許容する全体の雰囲気が暖かくて素晴らしい。
 カメラは自粛するよう求めてはいるが、「撮っても自席から」というルールは守られたが、世間並みにカメラの放列である。個人的な記録は残せても、ファインダーから覗いていては、子どもと心の通い合いはない。わが子の成長をしっかりと心に焼き付けることはできまい。
 「カメラ撮影はお祝いの行事中は禁止」と「その」のようにハッキリ言い切れないのは、やはり歴史の違いだろう。いつかそんな風に出来るときが来るのだろうか。
 先生たちが、面白い人形劇をプレゼントした。子どもたちの大好きなメロンパンの話だ。子どもたちの目はくぎづけ。お母さんたちはみんな笑顔で劇を楽しんだ。しかし、カメラに夢中のお父さんは誰一人笑ってはいなかった。
 終わってから、親たちの主催する茶話会が行われ、Babyの生活を幻想的に編集したDVDを記念にいただいた。手作りの暖かい集まりだった。親子ともども幸せなこれからを祈りたい。

 Babyから「その」へ帰ると、ヒロキチパパから寄付されたグランドピアノが届いていた。投稿でおなじみのヒロキチパパは、お子さんの卒園を待って転勤先の北海道で暮らしているが、奥さんの亡くなったお母さんが幼稚園の先生をなさった方で、晩年ピアノ教室を開かれていたが、今はそのピアノ使う人もなく、出来れば子どもたちの歌声とともに過ごさせたいと寄贈してくださったものだ。
 深野先生に弾いてもらった。「ピアノってこんな美しい音色を出すんだ」とビックリした。その音は、保育園のホールからくま組の部屋まで響いたという。ヒロキチパパ、ヒロキチママ、ありがとう。
 大事に使わせてもらいます。


 3月15日(木)晴れ
 年長組のお別れ遠足がようやく実現した。前日のお別れ会はBabyの卒園のお祝いの総練習で参加できなかった。後で花吹雪の写真を見て、大きい組を送り出す小さい組の成長を思った。
 先生たちの劇「かにむかし」も面白かったらしい。冒頭、柿の種を蒔いて木になるまで、お母さんガニの石原先生の一人芝居がよかったそうな。柿木の沓間先生も水をかけられるたびにブルッと身をゆする熱演。そこへずるいサル、深野園長が現れるや、子どもたちは最高に盛り上がったとか。

 お別れ遠足は、保育園の引渡し前日で、やらねばならない雑用に追われて、またまた参加できなかった。福岡高校裏の冒険コースを楽しんで通過できたらしい。トノサマバッタを追って新河岸川の土手を走り回った日々を、この子たちは記憶に残せるだろうか。よしんば忘れ去ったとしても、その体験はからだに染みこんだ技として、これからの人生に活きるだろうと信じたい。

 きょう、子どものその保育園の建物の引渡しを受けた。工事中全般に天候に恵まれ、予定通り完成し、開発行為、建築確認、消防検査がすべて終了した。諸書類とカギを受け取る。
 工事費の残金は国庫補助を受け取ってからのことになるが、建物の管理はきょうから保育園の仕事になる。
 夕方、らいおん組のはる君のおじいさん(元4号車運転手さん)のお通夜があって、職員が喪服に着替えて出かけた後、園長と全館の戸締りをしてやや遅れて参列した。
 はる君が「おじいちゃんがけさしんだよ。さびしいよ。なきそうになるよ」と手紙をくれた。
 「だいじなひとがしんだときは、ないていいんだよ。おじいちゃんはそれをてんごくからみて、はるやこうだいとわかれたくなかった、とおもうかもしれない。あえなくてもおもいでは、ひとをつないでくれるんだ」と返事を書いて、通夜が終わった後、はる君に手渡した。


 3月11日(日)晴れ
 このところ忙しくて、ホームページの更新もままならなかった。年長組との手紙ごっこは少し下火になってきたが、日中は手が出せなくて持ち帰りの仕事になるので、夜はホームページまで余力がない。一日「眠い、眠い」と言っているので、周りが健康を心配してくれるが、正真正銘眠いだけのことだ。

 工事は順調に進み、新保育園の職員体制もおおむね整った。屋上のプールはウッドデッキを含めて完成した。タイル絵のデザインは3号バスをやった淵野さん(卒園生のお母さん)に頼んだので、一段と立派なものになった。特に今度はカッパがいい。
 同じ屋上の菜園もレンガ積みで素敵だ。年長組だけでなく、小さい組もやれるだけの面積がある。
 予定通り3月15日には引渡しを受けることができそうだ。それから4月2日の開園まで大車輪の準備が始まる。
 と言っても、ボクは卒園のお祝いで映す「そのの思い出」をつづるスライド作りや、保育証書の書き込みがこれからで、保育園のことばかりはやっていられない。こういうことはこれからも続く訳で、なんという晩年であろうか。


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