きりえ 「人形劇 おおかみと7ひきのこやぎ」








きりえ 「人形劇 おおかみと7ひきのこやぎ」

 




 人形劇は「その」の保育の到達点のひとつだ。毎日絵本を読んでもらい、イメージ能力を高めてきた。友だちとぶつかり合って遊び、自我も情操も育ててきた。作ったり描いたりしながら巧緻に動く手指を持った。
 その上で、憧れの人形劇作りに、主体的に1ヵ月余も取り組んできた。お父さんやお母さんに見てもらう喜びで、人形劇は完結し、子どもたちの内に自信となって定着する。
 本番に至るまでのいきさつを想像しながら、舞台裏で協力し合っている子どもたちの息遣いを感じながら見てほしくて、ビデオや写真の撮影は禁止している。

 以前、ビデオカメラが今のように普及する前のことだが、禁止もしていなかったので、三脚まで持ち込んで撮影した人がいた。子どもは大喜びだったが、その子が三年生になって久しぶりに映したとき、突然、子どもが怒鳴った。「やめろ、もうやめろ!」。
 彼は<その>で友だちと一緒に人形劇を上手に演じたつもりでいた。それは多分、懐かしい思い出でもあったし、誇りでもあっただろう。…だが、いま見ると、それは何とも稚拙な人形劇であった。頭の中は真っ白になり、自信と誇りが崩れ落ちていく。

 大事なものは人形劇の完成度ではない。それを作り上げる過程で、子どもたちが獲得した内面の力なのだ。それはビデオカメラには映らない。親に求められるのは、人形劇の公演という結果を見て、その過程を想像する洞察力だ。それは自らの目で見、耳で聞いてこそ体験できる。

 ビデオカメラのコマーシャルに踊らされて、運動会は終日ビデオカメラを回すお父さん、それを頼みにしているお母さんのなんと多いことか。こういう人は教育とは何かということも、親が何をしなければならないかということも、本当にはよく分かっていないのだろう。


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