きりえ 「けんしん」






 今の医療生協上福岡協同診療所は、子どものそのが開園した頃は「大井医院」と呼ばれていた。単独の医療生協で、このあたりが無医村だった時代に大島慶一郎氏によって開設された。同じ生協なので、「その」の嘱託医をお願いした。開園直後、一、二度大島医師が来たが、その後は二十年余り中山先生が新入園児の健康診断に来てくれた。
 穏やかな先生で、一人ひとり丁寧に診察する。先生が腎臓を病まれて透析に通い、診療所へ毎日出られなくなっても、「その」の検診は中山先生だった。
 このきりえを額に入れて進呈すると、「能登さんにこんな才能があるとは知りませんでした。家宝として飾ります」と礼状をいただいたのは昨日のことのようだが、中山先生が世を去られてもう幾年にもなる。私が知る限り地域に根ざした医者らしい医者だった。いつも病める者の心強い味方だった。医者と患者の間に機械が横たわり、対話の代わりに検査表がものを言う。人と人とのかかわりが薄くなった医療現場に触れるにつけ、人間中山先生が懐かしい。

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