きりえ 「3歳児」

 




 そのにまだジャングルジムがあったころの、古い風景である。一人ひとり自分の世界にいて、それでいてどこか頼りない3歳児。先生は若い日の斎藤先生だ。
 斎藤先生は開園の翌年、22歳でそのの職員となった。同じ年、保母学校を卒業して助手から先生に昇格した美津子先生と二人で、25人の3歳児を受け持った。「何をしてもよい自由と、何をしてきたという実績のない、不安な毎日」と、後でそのころを振り返って美津子先生は書いている。二人は一日が終わると疲れきって、途方にくれたまま、保育室の押入れで眠ってしまったこともあった。今日の保育が明日にどうつながるのか、見通しの持てる保育がしたかった。だが、先輩の指導には納得のいかないことが多かったのだ。
 やがて、きちんと行儀よく育てようとする先生と、思いっきり遊ばせようとする先生との対立が始まった。「総合的で系統的な保育計画を立てよう」と、3年目の春、全職員で保育カリキュラム作りが始まった。それが職員をひとつにまとめていく原動力となった。


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