きりえ 「メリーの思い出」

 




 我が家の古いアルバムに1枚の白黒写真がある。男の子はけいちゃんといった。圭一君だったかもしれない。この子が年中組の昭和41年(1966年)、開園の翌年のことである。これが初代のメリーだ。

 初代のメリーは、当時の柳川町長さんの屋敷内にヤギを飼って住んでいた堀越さんというおじさんに、人口受精をしてもらったが、赤ちゃんは生まれなかった。ずいぶん年をとってから、南古谷の「ダメやさん」という処理業者にもらわれていった。
 代わりに新しい子ヤギがきたが、そのヤギも名前はメリーだった。そのメリーは年老いて死んだ。所沢の動物火葬所で荼毘に付した。
 三代目のヤギは、第一小学校の学童保育の指導員の紹介で毛呂山の農家から譲ってもらう。名前はやっぱりメリーである。メリーはあまりにも大きくなって子どもたちの手におえなくなって、里帰りをた。
 代わりにその農家から、かわいい小さなヤギが来た。10数年いて、すっかり「その」の一員になったが、昨年の8月14日、夏休みでだれもいないときに病気で死んだ。

 このように歴代のメリーは、いつも子どもたちのそばにいた。メリーはいつも人気者であった。
 自然と親しみ、自然と能動的にかかわって、いのちの不思議に友だちと共感しあいながら、興味、意欲、やさしさなどを育てようとする「その」の保育にとって、めりーはそのシンボルでもあった。 ……メリーの一周忌(8月14日)に、積もる思いをこめて、この作品を作り始めた。


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