きりえ  「なに描こうかな」

 




 おしゃべりしながら絵を描くのは楽しい。絵は子どもの言葉だ。
 2歳〜3歳の「なぐりがき」の時代が大切である。思いっきり腕を大きく動かして、大胆な線を描かせたい。紙に線が画かれること自体が楽しい体験なのだ。「あら、あら、グシャグシャばっかり!」などと論評するのは、伸びやかに描く気持ちを殺してしまう。
 やがて自分の思いを言葉では上手に表現できなくて、絵に託そうとする時期がくる。丸を三つ描けば、パパとママとボクなのだ。「それ、パパなの?パパなら目も鼻も口もあるでしょ」などと言うのは最低である。「ママが描いて見せてあげる」などは最悪。
 だんだん形になっていくが、どのみち幼児の絵は鑑賞に耐えるものではない。子どもの絵は、「目で見てはいけない。耳で聞くことが大事」といわれる。たとえ丸が三つでも、からだの動きがぎこちなくても、その絵の向こうに子どもの思いがある。
 「パパとママといっしょにどこへ行ったの?」
 「デパート」
 「なにか買ってもらった?」
 「お子様ランチたべたんだ!」
 「いいなあ。先生もランチ食べたいよゥ」
 子どもはニコニコして、また描きたくなる。話を聞けば、子どもの世界が見えてくる。その点、上の子がいると難しい。形の整った人形のような概念的な絵を真似したくなる。表現すべき「自分の思い」はどこかへ消えてしまう。下手だけどその子の思いが表されている絵を、よく話を聞いて、共感し、褒めてあげたい。
 電子メディアの発達で、テレビやビデオ、ゲームのような受動的な文化が子どもたちを捉え、手指を使わせない便利な商品も氾濫して、子どもの手は「虫歯」になっていると言われる。それは手指の巧緻性だけでなく、感性や想像力をも奪っているのではないか。自由に、伸びやかに、いっぱい絵を描かせたい。

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